2013年以来、東北沿岸部との行き来を頻繁に重ねてきました。なぜ、東北なのか?と言われると両親の故郷が青森であり、子供の頃から日本列島で言えば、東北に愛着を覚えていたから…。それ以外にありません。
震災後の被災地を歩きながら社会の事を世の中の事をよく考えるようになりました。
2016年夏。この時はいよいよ宮城県南部から福島県北部に到達するようなタイミングでした。宮城県南部というと仙台の沿岸部からそれ以南。首都圏で生活する人間からすると、いわゆる仙台エリア…となれば十分に…とまでは言わずとも他のエリアに比べれば【復興】も進んでいるはず…という勝手な思い込みを持ちながら仙台空港の沿岸部側のエリアを歩き始めました。
お昼前に途中コンビニに寄るも、この先、まだ地のものを食べられるところもあるだろう…なんてことで軽めにおにぎりで済ませました。しかし、その先は歩けど歩けど、荒涼とした雑草だらけの荒野が拡がるのみ。
工事関係を中心とした車の往来はあるものの人の姿は皆無。犬や猫すらすれ違いませんでした。まるで生活感を漂わせるような光景は見渡す限り見られません。途中、どこか泊まるところくらいあるだろう…という思いでスタートしたものの、こんな状況ですから全くの見当違いであったことは歴然でした。結果、宿を求めてその日は福島の松川浦まで77,000歩を歩く事になりました。被災沿岸部を歩いてきて、未だに残る震災の傷痕を数多く見てきましたが、この日は一段と衝撃を覚えました。
この当時で震災から5年が経過しています。
普段、東北と東京を行き来していると、東京オリンピックを控えた東京は刻一刻ときれいになっていく。【復興】の名の元に誘致されたオリンピックなのに、その方や被災地である東北はいまだに雑草だらけの荒野が拡がっている。この復興のスピード感の違いには大いに違和感を覚えました。
以来、復興五輪ってなんなんだろう?と日々思うことが多くなりました。
工事の人も資材も東京に優先的に取られ、さらには国や都までも無料の労働力としてのボランティアを募り、国民の目線を被災地から東京オリンピックへと仕向けています。ただでさえ、被災地へ足を運ぶボランティアが減ってきているというのに…。
オリンピックが被災地に寄与するものがなにかあるのか?具体的なものがよくわかりません。
被災地へ足を運んだこともないような首都圏の人にこんな話をしても
「あれ_?でも、東北のどこかで_何か競技もやるんですよね_?」
復興は進んでいる_?と思い込んでいる…という前に今や意識が東北にない人が多いように思われます。
個人的にはオリンピックに意義を感じていません。

それに輪をかけるように進む「一極集中」
それに併せて一時は地方に散らばっていった大学施設も、最近はまた首都圏、東京に戻ってきている感があります。
進学や就職を機に故郷を離れ首都圏を目指す、目指さざるを得ない状況は余計に加速しています。
それに伴い家賃は高騰。学費も上昇。
反対に国民の所得は伸び悩む。一般のサラリーマン世帯の収入は下がり続けているという昨今、このような状況で地方の子供たちを大学に通わせるのは至難の業…とも言える時代になってしまったと思います。
それを支える【奨学金】も、字面にある学びを奨励するなんてのは名ばかりで、いわゆる金融ビジネスに変わりはない制度に成り下がっています。
それが無理なら大学へ行くなとか、通える大学へ行けば?という声も聞きます。それは確かに一理ある意見なのでしょうが、モノや人、主要大学や産業も一極集中がこれだけ進み、地方を支える第一次産業も衰退していく中では、某大臣の「身の丈」発言のように地方の子供たちは学びたいものもあきらめざるを得ない…そんなことでいいのだろうか?
そうなれば余計に教育の事、将来の事を考えれば家庭ごと首都圏に移った方がよいという判断も増えるのではないかというのは至極当然のこととも思われ、一極集中も地方の過疎化も加速する一方なのではないでしょうか?
地方創生…という言葉が聞かれますが、東北と首都圏を行き来して肌で感じることとしてはどのくらい本気なのか?というのは疑問に感じてしまう今日この頃なのでした。