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小学校の頃、クリスマスカードの交換会があった。
時期で言うなら昭和51年とかその辺。

私はバックスバニーの絵をあしらって渾身の作品に仕上げた…。


心を込めて仕上げたものは早く誰かに渡したい。そのリアクションが楽しみになる。


その日更に私が楽しみにしていたのは、これが誰のもとに渡るのか?自分には誰のカードが来るのか?ということだった。


当然、誰しも思う事だろうが、気になる女の子の所へ自分のカードが届けばいいなぁ…そして、その子のカードが自分の元に…

と期待する。



交換会当日、確か体育館だったかと思うが、封がされてシャッフルされたカードがランダムにみんなの元に配られた。

ドキドキして封を開けてみると、なんと、その気になる女の子のカードが入っているではないか!

そして、更には斜め前方に座っていたその女の子の手元には私のバックスバニーのカードが!

凄い確率の話で、もしやこれは天の配剤?なんて期待したりしてしまったが、その想いは儚くも想像だけに終わってしまった(笑)



その25年後、タイムカプセルを開ける!というイベントがその小学校であったので、参加してみた。

当時憧れていたその女の子も来ていて、イメージのままとても素敵な女性となっていた。

そんなクリスマスカードの事など、向こうにとっては忘却の彼方であろう。

特にお話しをする機会もないままに、その後、颯爽と現れたBMWにピックアップされ会場を去っていった…



…と淡い初恋話に逸れてしまいそうになってしまったが、こんな話をしようと思ったわけではない。

最近ではこういうクリスマスカードの交換…なんてのも、SNSやらメールやらで済んでしまったり、せいぜいパソコンで作ったもので行われる時代なのだろうか。


その後、

昭和から平成になる頃。

当時はまだパソコンというより、ようやくワープロなるものが普及し始めた頃だった。



私も最初に買ったワープロは画面が1行分しかないもので、今から見ると子供のおもちゃみたいなものだった。



平成も初期のころ。私も社会に出て企画書なるものを作成し始めていたが、幾分入力作業が得意だったのもあってワープロを駆使して仕上げたもの持っていくと



「やっぱり活字って迫力あるねぇ」



なんて言われた。

そもそも【活】字というぐらいだから活き活きしている字。アクセントのある字。という意味もあるのだろうか?

でもかつてはいわゆる印刷された字というのはそのようにインパクトのあるものと捉えられた時期も自分の歴史上では確かにあった。



時代も変わるもので、今や活字が氾濫している。

むしろ企画書的なものやDMなどは単純に活字が羅列されている部分は読み飛ばされてしまう。

読み飛ばす以前に書類の山に埋もれて、気付けばゴミ箱行きになってしまったり。

活字・・・というだけでは却って文書が活きてこない。



私は顔が広い方だ…とよく人に評価していただくことが多い。



と言って、私自身に何かすごく特徴があるわけでも、魅力があるわけでもない。

ただ人との繋がりはとても大切にしたいと常々思っていて、確かに知り合いは多い方だと思う。



しかしながら今流行りのSNSに頼ったことはほとんどない。

やってはいるけれども、何の脈絡もなく友達申請することは絶対にしないし、会ったこともない方からの申請についても基本承認もしない。また自らの誕生日も開示していないし、FACEBOOK主導で「誕生日をお祝いしましょう!」なんてしたりされたりは一切乗らない主義にしている。

お祝いするなら直接する。



では、どうやって増えていったのか?というと、ただ一つやっていることは、ある機会があってお会いした方からとても刺激をいただいたり、感動したり、感謝したり、楽しかったり…そういった出逢いと遭遇したときには必ず手書きの手紙を書くようにしている。

切手もなるべく季節に合ったものや、先方との話題に関連するものを選んで使うようにしている。

誤解のないように言うが、知り合いを増やすために手紙を書いているわけではない。

単純に感謝を表明するために実践している。

結果、深い知り合いになっているという話。



そうすることで、響く方にはとても効果が高いと感じる。

私自身の印象を深く刻み込むことができるようだ。

早い時には帰りの電車やバスで書いてしまうことすらある。



達筆でもそうでなくても今の時代、印刷された文字なんかよりも手書きの文字の方が活きた字であると思う。



アナログもまだまだ捨てたものではない。



やり直しの効かないアナログの良さ。



容易に手直しの効くパソコン入力と違って、一球入魂!みたいに文章を書く時の集中力が変わってくるのは確かにある。一筆入魂。



写真も同じように感じることがある。

デジタルになって、撮った写真は今や、その場ですぐ結果がわかるし、撮り直しもできるし、後から修正すらできてしまう。

昔は「いい写真を撮りたい!」とファインダーを覗きながらシャッターチャンスを待つ。そして数日後までその結果はわからない。

果たして…!?という楽しみがあった。

一枚にかける念いは今よりも強かったのではないか。

手紙にしても写真にしても、アナログの時代の方が魂がこもっていたのではないか。



時間も手間もかかるが、その分、深い作品が生まれるのだ。



字を読む…という作業は左脳の仕事なんだろうけど、もしかして手書き文字だと右脳からも入るのでは?

なんてふと勝手な推測をしてしまったりすると無知のレベルがばれてしまいそうだけれど…^^;



でも同じ一文を印刷文字と手書き文字で読んだ場合、手書き文字の方が記憶に残るのではないかなぁ?

とは思う。



手書きの手紙…



昭和の残党として死ぬまで続けていきたいと思うのだ。