元気座に名を連ねていただいております職人の方々との出会いのエピソードをご紹介していきたいと思います。

まずは第一弾は
津軽三味線【紺谷英和さん】です!
<.Ω.>
1992年の暮れに私のこよなく愛していたミュージシャン、FRANK ZAPPAが死去…私の中での最大のアイドルを失ってしまい、しばらく空虚感に浸る日々を過ごしていた

翌年夏に引っ越しをしてしばらくして、その新居のポストに入っていた情報紙に何気なく目を通していた時…「津軽三味線コンサート」という告知を見つけた。
元々私は兄までは青森出身の人間という事もあり子供の頃からなんとなく「津軽三味線」という響きは聞き馴染んでもいたし、少々興味を持っていたこともあり、久々やはり青森出身の母親でも誘って行ってみようかな…と考えたのであった

音楽を楽しもう…というよりもどちらかと言えば親孝行のイベント…て感じだった

当然ごく普通に津軽民謡コンサートなんだろうという認識でコンサート当日会場のホールに直接出向いた93年2月だったと思う。

すると簡単に当日券で入れるもの…と思い込んでいたのだが入口付近は大混雑!チケットも販売を見合わせている模様でしばらく待たされた

ほどなくチケット販売が再開してなんとか入ることができた

この段階では失礼ながら紺谷さんの予備知識は皆無であったし…前述したように目的は【親孝行(^^;】だっただけに始まるまでのいつもライブ前の高揚感もなく母親と話をしながら開演を待っていた

さて、いよいよ開演となり会場が暗くなると共に緞帳が上がる。
すると、どうだろう…「民謡コンサート」という予想を裏切るシーンが目に、サウンドが耳に…


ステージ上には三味線がツインに、ピアノ、パーカッション、ギターというまるで予想もしていなかった編成の【バンド】が想像もしていなかった演奏を展開し始めた。

すっかりカウンターパンチを喰らった形の私は、その段階でノックアウト。

今でこそ珍しいことでもなくなったが、いわゆる思いっきり日本の楽器である三味線が西洋楽器であるピアノやギター等と絡んで繰り広げるそのサウンドはとても斬新で尚且つ刺激的…FRANK ZAPPA亡き後の私を救う?のはこれだ!みたいな感触を抱くに至った。

【親孝行】転じてすっかりライブ鑑賞モードに入った私は感動、感激。自分孝行になってしまった。

あまりに感動した勢いで手紙を書いたら、しばらくしてから返事をいただいた。返事をいただいたのは93年12月と消印はなっている。
「〜津軽三味線は確かに難しくもありますが、その反面、魅力と可能性のあふれた楽器だと思います。少しでも多くの人々に興味を持ってもらえたらと常に感じていた矢先、708さんのメッセージは大変喜ばしく、又、励みになりました…」

という手紙の内容であった、これからのおつきあいだ…という単純な話ではなくまだ続きがある。

手紙をいただいたものの、しばらく私も次のアクションを起こせないでいた。

時期ははっきりと覚えていないもののおそらく94年の夏頃?だっただろうか。
アメリカ人の知人から
「本国からVIPが家族同伴で来日するので、和風の場所で歓迎の場を設定したい。どこかセッティングしてもらえないだろうか。日本の伝統芸能をいくつか披露するので、広めのお座敷のところで。ただし明日なんだけど…」とずいぶん無茶な依頼をされた。

そこで、
「日本の伝統芸能ですか…今、どういったものが準備できてるんですか?」
「お琴の先生と日本舞踊の先生とお二人が決まっています」
「もしかしたら津軽三味線の方に頼めるかもしれませんが…」
「ぜひお願いします!」
「ただ明日の話のなので、都合がつくかわかりませんよ」

ということになったのだ。
手紙でのやり取りはあったものの、その後また半年くらい(以上?)間も開いており、しかも直に会ったことも話したこともないのに、果たして…その前に覚えていただいているだろうか・・・?と不安はあったものの、いちかばちか早速電話してみる。
確か幕張あたりの公衆電話だったような気がする。

「あの〜、以前にお手紙を書かせていただきました708と申しますが…」
「あ〜どうもどうも!」
即、気さくなリアクションで少し安心する
「実はある知り合いの会社のVIPがアメリカからやってくるということで、日本の伝統芸能をお見せしたいということになりまして、そこで、もしよろしければお願いできないものかと思いまして……その〜お礼もあまり大したものでもないのですが、しかも日程がですね…実は、明日…なんです、けどぉ…どうでしょうか・・・・」
「あ、いいですよ」
と恐る恐る聞いてみたところ、二つ返事で快諾!
実にありがたいお話。

そして翌日…会場で初めてお会いする。ひとしきりお礼を申し上げ出番までお待ちいただく。

そのVIPの歓迎の席も宴が進み、いよいよ日本の伝統芸能コーナーとなる。
まずはお琴、そして日本舞踊。

来賓含め、その家族の子供たちも、もぐもぐ食べながら節目節目でお付き合い程度のまばらな拍手でいやぁどうもどうもよいもの見させてもらった…という感じ。

さて、オオトリは津軽三味線、紺谷英和氏参上となる。

じょんがら節の曲弾きを披露してもらうこととなった。私は反応が楽しみで、ずっと賓客の様子をチェックする。
序章の段階では、曲のムードも穏やか。宴席の面々は先ほどの延長線上で、まだ、慣れない手つきで箸をもち料理をつつきながら、たまに会話をはさみ…という感じ。

しかしながら、徐々に曲も中盤にさしかかってきて演奏に激しさが増してくると同時に、宴席では箸はまだ動いているものの、一同寡黙になってきたのがわかる。視線は【津軽三味線 紺谷英和】に釘付けだ。

そして終盤、津軽三味線特有の激しいバチさばきの嵐に弦を掻き鳴らすシーンにさしかかると全員の視線はスポットライト状に紺谷氏に注がれ、その宴席であった空間は正にライブホールと化した。VIPの家族らしき若い男性は口に運ぼうとしていた料理を口に入れないままあんぐりと開いたままになっていたような感じだったのを覚えている。

最後に演奏が終了すると、先ほどまでのお付き合い拍手とは違い、全員ブラボー!の拍手で包まれた。

この宴席をプロデュースした身としては、「どうだ!格が違うだろ!見てみい!」と腹の中で叫んでいた。

紺谷氏のおかげで、その宴席も最高の演出となり形として接待側であった知人のアメリカ人もすっかりご満悦。

これを契機に、当時、紺谷氏が開いていた三味線スナックにも足繁く通うようになりいろいろと音楽の話に花を咲かしていたものだ。それ以来、お付き合いしていただいている。

元気座企画でもまたぜひ紺谷氏の【津軽三味線】をご披露いただく場を設けさせていただきたいものだといつも思っている。